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岩手◆遠野/賢治の銀河鉄道が見られます【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年11月30日

▲恋人の聖地でもある「眼鏡橋」。

遠野市宮守町は、今から約950前の「前九年の役」による蝦夷の長「安倍貞任(あべのさだとう)」率いる安倍一族と鎮守府将軍「源義家」が奥州の覇権を掛けて戦った歴史は、日本史にも記されているところです。

この戦に敗れた貞任は一族が治めていた宮守町の舘に逃げのびて一時隠れていたとの逸話が、この地帯には多く語られています。源義家の命により、戦勝を祈願して砥と森山(もりやま)の山頂に宮を建てたのが宮守町の名の始まりとの説もあるところです。

近代に至っては、詩人で童話作家の宮沢賢治が、この町の国道283号線に架かる眼鏡橋を黒い煙を上げて蒸気機関車が渡るのを下から見上げた姿は、まさしく空に向かって進んでいく銀河鉄道を思わせたのでしょう。

現在はこの橋の下には、宮守町の産直「MM1」と、宮守川の岸辺を活用した公園が整備されて、眼鏡橋を前にカップルが二人で写真を撮れる処を「恋人達の聖地」と称し、通常の年であれば、野外コンサートや橋のライトアップを背景にしたイベント等で賑わいます。

この眼鏡橋の近くにも、当事務所の物件が有りますので、是非、お寄り願いたいものです。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲周辺は親水公園にもなっている。

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東京◆本部/オンライン会議で思うこと【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年11月29日

ようやく10 月から娘が大学へ通学し始めました。半年振りです。振り返ると春の頃にはオンライン授業の設定のため、自宅パソコンをあれやこれやと操作していたのが懐かしく感じられます。自分専用のノートパソコンを持ってはいるが、リビングの家族用を使いたいとのこと。このコロナ禍がネット社会の現代で起きた故、オンライン授業なるものができました。

インターネットは当に文明の利器。ふるさと情報館はと言えば、四谷本部と八ヶ岳事務所があり、通常であれば普段離れている社員同士の親睦を図るため、年に数回、東京か山梨で親睦を兼ねた会議や、慰労会、暑気払いなどを実施しています。しかし、今年に至っては会議はオンラインで。初めての試みは珍しくも感じられ、今は問題なく出来ております。

この手法の良いところは発言が重なることが少なく、発言内容をじっくり聞けるように思われます。生身の相手と向かい合っていないからこそ、そういう心境になるのでしょうか。丁度、宇宙船の乗組員と地球が交信するように。人と人との繋がりを疎遠にしたコロナ禍。世の中の常識、生活様式が変わりつつある現代。我々は、後世に残すべき生き方を提案しなければならない岐路に立っています。

自宅パソコンのデスクトップにたくさんあった娘の授業ファイルやフォルダが、日に日に少なくなっているこの頃。画面がすっきりして嬉しくもなり、一方で寂しくも感じられる、複雑な心境です。(本部 金澤和宏)

山梨◆甲府/物件ウォッチ誌上オンエアー (文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06 : 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年11月27日

▲甲府市貢川にある県立文学館。併設してミレーなどのバルビゾン派が一堂に会する県立美術館もある。

本11月号も番組収録で取り上げた物件がこのコーナーに登場する前に決まってしまいましたので、またしても作家の直筆原稿の話しをします。今回は、山梨県立文学館で開催された(11/23まで)の『まるごと林真理子展』を見てきた感想です。

林さんは小学生のころつぎのような作文を書いている。

「わたしが 大きく なったら どうわを かく人に なりたいな」

縦十字、横十行の大きなマス目の原稿用紙に、ハネとトメがしっかりした文字を鉛筆で書きつづっている。堂々とした筆圧の文字。わたしが担任でも大きな花丸を与えたくなるほどだ。

また当時、林さんは児童劇の台本も書かれておられたようで、キャスティングも自分で決めている。色白のお姫さまは〇〇ちゃん。ちょっと意地の悪いオオカミは●●くん。などと林さんは湧き出でてくるアイデアを書き留めるため、記録しておくため、彼女の鉛筆は走り続け、走り続けて止まるところを知らぬようなのだ。

それが夢見る少女の空想から出たものにしろ、人を配置し動かしていくことは物語の醍醐味であり、もしかしたら困難が待ち受けるこの世の中においてさえパラダイスを夢見ることができる少年少女たちだけの特権なのかもしれない、と思えてくる。トトロと同じように、いつでも会えるとは限らないけれども。

こうした文字の並びを見てわたしはその昔、幼なじみの女の子が、より紐で綴じた藁半紙に黒の鉛筆と両端が赤と青の色鉛筆を使って、飽くことなく書いていたことを、頭のどこかで突然思い出した。ものすごく早いのだ。書くスピードが、である。

当時、近所に住むその幼なじみは、学校や帰り道であったことなどを次から次へと端正な文字でその半紙に書いていく。彼女が一枚目を書いたらわたしたちは二人で声を合わせて読んでいく。それが済んだら二枚目に取り掛かる。書き終わったらまた声に出して読む。一時間もすれば勉強部屋に使われていた仏間の六帖間は半紙に覆い尽くされてしまうのだ。きれいな文字を書く人は書くスピードも早い。これが幼いわたしが彼女から学んだことだった。

林さんはその後、マーケティングアイデアの束をひとつの箱に入れ、凝縮した言葉を紡ぎだすコピーライティングの世界へ。そして作家への挑戦。直木賞受賞からいまの現在に至るまで、彼女の書くための武器、それは「手書き」ということだ。

手書きにこだわりすべて原稿は濃いインクの万年筆で書かれている。縦二十字、横二十行の一枚四百字詰め原稿用紙をうず高く机上に積み上げていく。それはまさに力づくで言葉をねじ伏せているようにも思える。

行間を読み込ませることよりも、どこかから舞い降りてくる言葉をすばやく手書きしながら文章を記録していくことの方に林さんは興味があるのかもしれない。速記に近い技だ。

明治大学の齋藤孝教授は、そうした行為を「書き殴ると思考が加速する」とおっしゃる(『思考中毒になる!』(2020年))。淀みのない文章の連続性は読者を楽しませ、作者を喜ばせる。

それは幼いころから林さんが、読者をいま居るところからはるか彼方の地平へ連れていくこと、それを童話をはじめ校内作文や台本を書くことで、書き続けることで学んで行ったのではないか。枯れ野も花咲く野に変えていくことができるのだということを。

直筆原稿とはげにも恐ろしきものかな、なのである。(八ヶ岳事務所 中村健二)

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まるごと林真理子展
会期:2020年11月23日まで  開館時間:09 : 00~17 : 00
(11/2、11/4は休館)
料金:600円(一般)
会場:山梨県立文学館  甲府市貢川1-5-35
電話055-235-8080
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岩手◆花巻市/千円札と感染症 ~ 宮沢トシさんのこと ~【いくぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2020年11月25日

学生時代、広告マーケティング部に所属するゼミのメンバーがいた。『宣伝会議』を片手に著名なコピーライターや新進気鋭の作家の話をしながら、初代ウオークマンを聴き、夏休みを利用してアメリカ西海岸にショートステイをする。ドン・ヘンリーは1969年からスピリッツは置いていないと歌っていた。そんな時代だ。

同級生は当時の若者の最先端を走り続けているようにわたしには思えた。いわゆる貧乏学生には憧れの生き方を地で実践していたのだ。あるとき桜台駅近くの彼の下宿で酒を飲んでいると、入社の決まった広告代理店の試験問題を彼は口にした。試験論文の課題は「千円」。伊藤博文から夏目漱石へと肖像が変わることが話題にもなっていたころだ。

「そうしたお札のことを書いた奴らは全部落とされたんだ」と彼。

「で、きみはなにを書いたんだい?」わたしは尋ねる。

「いいかい、中村ね。大事なのはお札の話しではなく、ボードリヤールが提唱してきたその記号論的な価値であって、ケインズが言う深層構造においては、、、」。まあ、その時代における貨幣価値と商品とのバランスが大事だということのようだ。

その後、広告業界の大海原に漕ぎ出した彼は、現在無事定年延長を迎えたと聞く。

▲ 第158回直木賞受賞作『銀河鉄道の父』。2018年刊。

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2024年に新札が発行されるという。千円札の新しい顔になるのは北里柴三郎(きたざとしばさぶろう)。まさかなにかを予見していたわけでもなかろうが、日本の細菌学の父とも言われる。ペスト菌を発見したとされ、世界で初めて破傷風菌の培養に成功するなど、感染症医学の世界的権威として知られている方だ。

ペリーが来航した前年幕末の1853年(嘉永7)に生まれ、満州事変勃発の1931年(昭和6)にお亡くなりになっている。山梨県韮崎市出身で2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智(おおむらさとし)先生もその教え子のおひとりだ。虫や小動物が媒介する感染症は今も昔も人類にとって大きな難敵となっている。

宮沢賢治には夭折した二つ下の妹がいる。名前はトシ。その妹への「永訣(えいけつ)の朝」には(あめゆじゆとてちてけんじや)(「雨雪を取ってきて、賢治さん」とでも訳すのか)という括弧書きのフレーズが繰り返し出てくるが、花巻の晩秋の、雪のようにすきとおった雨が賢治の心象風景と重なっているかのようだ。

それにも増して生前トシが、花巻の実家で病に伏せていた祖父に宛てた手紙を、わたしは『銀河鉄道の父』の中で初めて知った。聡明なトシの淡々と語る言葉の力勁(ちからづよさ)は柔らかな愛情に満ちている。

「おじいちゃん、今日のいちにち云いわけのような心持ちはなかった?」などと。この点では賢治よりもすごいのだ(とわたしは感じた)。

そのトシは今から百年前に世界的な大流行を起こした感染症にも罹っていたという。しかしながら賢治が完璧なまでの予防策をとったおかげで花巻へ帰省することができた。そして教鞭を取るまでに回復したが1922(大正11)年11月27日に結核により永眠する。24歳だった(磯田道史著『感染症の日本史』2020年)。

『注文の多い料理店』は、そのトシが賢治にいつも勧めていた童話作家としてのなりわいが大成していくみごとな結実であったのだった。(北東北担当 中村健二)

「宮沢賢治記念館」(岩手県花巻市矢沢第1地割1−36)

栃木◆那須/みんなほっこり? 久々の田舎膳です【那須高久・里山日誌りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2020年11月22日

▲天気の良い秋の1日。枝豆は食べ頃、白い蕎麦の花が一面に咲いている。

9月21日 枝豆の収穫祭と蕎麦の花見 21名

今日は待ちに待った「枝豆収穫解禁?」の日で、「ちょうど食べ頃ですよ」のお知らせの日です。先日「枝豆食べ頃になるけど、収穫祭どうするの?」と仲間から声があり、蕎麦の花が見頃なので収穫祭と花見を兼ねて畑でやる事に・・・。私はここ数ヶ月、田舎膳を作る出番がなくて寂しい思いをしていたので、思わず「お弁当作りは私に任せて??」と気合が入ってしまいました。

昨日、枝豆班長さんが急ぎの連絡で「都合の良い人だけ集まって下さい!」と声を掛けたところ全員で21人も集まりました。枝豆畑と蕎麦畑の間の通路に軽トラックを止め、その荷台にコンパネ2枚を敷いてとりあえずのテーブルを作りました。その上に私の作った栗おこわと田舎膳弁当、そして仲間から差し入れのケーキ、果物、手作りまんじゅう等が所狭しと並んでいます。見頃に咲いた蕎麦の花をバックに記念の集合写真を撮った後、テーブルの所に集まり、枝豆収穫を無事迎えられたことに感謝し「お疲れ様でしたー」とお茶でカンパイしましたが立食なのでゆっくりできず皆さんお持ち帰りされた様です。コロナ禍のご時世で形ばかりの収穫祭と蕎麦の花見でしたが、何ヶ月も皆さんにお会いしてなかったので、久しぶりに見る元気な笑顔にほっとひと安心しました。

▲親戚・知人に送る枝豆を収穫中。「おいしかったよ~」の言葉を聞くのが張り合いになるとか・・・。

軽トラックから少し離れたところに幸せを絵に描いたようなファミリーが私のお弁当を広げて食べています。両親と男の子3人(6歳と1歳6ヶ月の双子)で家族全員私の田舎料理のファンとかで、栗おこわや里芋の煮染め等喜んで食べていました。おなかが満腹になると少しもじっとしていません。お兄ちゃんが蕎麦畑の中に入ると、双子ちゃん達もすかさず後に続き、お父さんに注意されるとすぐ止める。と思いきや収穫の終わった畑の中に寝っころがるとすぐ真似して3人で土だらけという元気の良さです。

近くにいる大人達は孫を見る目で見守っていると双子ちゃんの1人が急に泣き出した・・・「何事か?」と聞くと草で指を切ったとかで、もみじの様なちっちゃい指先から血が出ています。それを手当てしているお父さんは、初めての痛みと出血を「痛いの分かって良かったねー」と優しく言っていました。

▲お父さんお母さんはチビちゃんを優しく手当て中です。

これを見ていた大人達はノビノビと自然体の子育てに感心し、ほのぼのとした親子に拍手喝采です。子供たちのお父さんは最初の子供の時は宝物を磨くように大切に育てたそうですが4年後、双子が生まれ3人になると手が掛かり構ってやれない状態になり鷹揚になったとか・・・。久しぶりに元気の良い子供達を目で追っていると動きのない日常生活を送っている私には刺激になったのか、ちょっとだけ活気付きました。

▲お花畑にちょうちょが。

その後、畑にぽつりぽつり収穫する人達が集まり、それぞれ親戚、知人に送る枝豆を収穫しています。届いた人たちから「おいしかったよ?!」の嬉しい言葉を思い浮かべそれを張り合いにしているとか・・・。私の知り合い等は届けた枝豆を後の楽しみに冷凍保存しようと塩ゆでし、サヤから出していると隣で見ていた2歳になる孫娘さんがそーっと手を出し1粒口に入れて食べたところ初めの味に美味しいと思ったのかパクパクと手が止まらなくなったとか・・・。枝豆仲間のまわりの人たちは旬の味?としてこの時期幸せ気分に浸かっている事でしょう。

▲軽トラックの荷台にコンパネ2枚を敷いたテーブルに並んだ栗おこわ、田舎膳弁当、その他。

9月28日 はさ掛け(天日干し)

もう労力的に無理かなーと思い、今年から「はさ掛け」を止めることに心を決めたのですが、稲ワラや籾もみ殻がらが欲しいという声に急きょ今年もやる事になりました。今では珍しい「はさ掛け」ですが、さすがに手刈りは出来ないのでバインダーで刈り取った後、はさに掛ける作業です。毎年お手伝いして頂いている仲間達は仕事の手際がよく、思いの外早く終わりました。

▲急きょやることになった稲刈り。何一つ無駄なものがない稲。天日干しのお米は美味しいですよ~。

よく考えてみると自然乾燥の美味しいお米、稲ワラ、籾殻、米糠と何一つ無駄なものが無いことを今更ながら知りました。味噌作りの時お世話になっている日野屋さんが麹を作る時使用するそうで「今では稲ワラを見つけるのが大変で貴重なんだよー」と稲ワラ欲しい組の仲間になりました。(那須店 高久タケ子)

兵庫◆宍粟市/難読地名を逆手にとって【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年11月18日

▲旧山崎町大沢集落。

「先日、宍粟市に行ってきました」と申し上げても、「どこにあるの?」「なんて読むの?」と聞こえてきそうですね。神戸から約100㎞、姫路市街から北西へ30㎞ほどの所にあり、読み方は「しそうし」。平成の大合併の際に西播磨地方の宍粟郡の4町が合併して誕生しました。

県内でも2番目の広さがあり、市の中心は南にある山崎町。古来の因幡街道、山陽・山陰の交わる要衝で、江戸時代に池田輝澄(輝政の四男)によって城下町として発展しました。市役所のある国道29号沿いにはマックスバリューや飲食チェーン店が集まり、中国自動車道の山崎インターが京阪神、姫路・鳥取方面への玄関口となっています。

他の3町は市の北側の山林・農村地帯にあり、東の一宮町は縄文時代の遺跡が数多く、中央の波賀町はかつて森林鉄道があったとか。西側の千種町は最も山深く、日本刀の原材料、「和鉄の郷」と呼ばれ「千草鉄」や「たたら製鉄所」の遺跡などが有名。宮崎駿監督の「もののけ姫」の「たたら場」のイメージで描かれています。「宍粟」の由来についても古くは「播磨風土記」まで遡るようで、地元の方も「初めて来たなら読めないよね」と苦笑い。

▲宍粟市はかつて水運の高瀬舟とも縁がある地域。江戸時代の初めから昭和の初頭まで、揖保川の物流を支えた。

▲旧山崎町にある宍粟市役所。

平成25年には千葉県の九十九里にあった匝瑳郡から誕生した「匝瑳市(そうさし)」と姉妹都市を締結。生い立ちも似ていて、どちらも難読地名を逆手にとってPR中。是非チェックしてみて下さい。(本部 星野努)

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長野◆蓼科/隠れた穴場をご紹介します【信州蓼科・タイムカプセル】

この記事の投稿者: 信州蓼科エリア案内人/ 星野 登美夫

2020年11月16日

※写真はイメージ

コロナウイルス感染症も、いまだに新規感染者が発生していますが、感染予防で自宅にこもりっきりではストレスがたまり、かえって他の病気にかかってしまいそうです。そんな人たちに、東京から2時間ほどで来れる蓼科エリアで、最近有名になった隠れた穴場を紹介します。

八ヶ岳・天狗岳の登山口、「信玄の隠し湯」と言われ江戸時代から湯治場として近在の農家の人たちに利用されて栄えた「奥蓼科温泉郷」は現在は3軒の温泉宿が営業しています。麓の集落から始まる温泉郷に行く「湯みち街道」を登っていくと、坂道の各所に100mおき位に「馬頭観音」や「千手観音」などの石像が建てられていて、これは麓の集落が昔、家族同様の農耕馬の死を哀れんで、江戸時代の安政二年にこの道を行き交う人馬の安全を願って建てられました。

▲一度は訪れて頂きたい御射鹿池。

これを見ながら2.5㎞ほど進むと、ため池100選に選ばれた「御射鹿池(みしゃかいけ)」があります。この池はただの農業用温水ため池だったのですが、東山魁夷(ひがしやまかいい) の「緑響く」やテレビCMから有名になり、多くの人々が訪れるようになりました。駐車場やトイレが整備がされ、緑色の湖面に回りの木々が映されて、その上を飛ぶ蜻蛉は、幻想的です。湯治を兼ねて是非お出かけ下さい。
(信州蓼科エリア案内人 星野 登美夫)

東京◆本部/リアル口コミ【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2020年11月13日

「おー、ふるさと情報館の金澤さんですか。色々と情報は耳に入ってきており、存じております」。という感じでお声を掛けられました。那須町でのとある1コマ。

その方とは初対面。町役場にほど近い、緑のなかに佇む小さな食堂。ご婦人が一人で切り盛りしている、カウンターだけの飾り気のない家庭的な雰囲気。メニューは冷やし中華、あんかけ焼きそばともう一つくらい。また、別のところでは「金澤さんは〇〇さんと仲良いんだってねー」という、どこから湧いて出てきたのか全くありえない話もあったり・・・。

ふるさと情報館での約16年の営業経験の中で、お知り合いになるお客さんの数も相当。無機質な都会のビルやマンションの仲介とは一線画す、言わば血の通った代々受け継がれていきたご実家、別荘を扱います。物件を売る前にまずは自分に売却を託して頂けるよう、信頼を売り込まなくてはいけません。正直、私自身物件調査にお伺いした際、半分は物件や条件とは関係ない話をしていると思います。

田舎では人の情報は知れ渡り易いですが、私はそこに住んでいる訳ではなく、またSNSなどもやっていません(どちらかと言うと好きではない・・・)。相手を知らなくても、相手は自分を知っている。今の時代その情報がネットを通じて表に出てくることもあります。各々が点数を付けられる世の中、自分も5点を付けて頂けるよう努めます。
(本部 金澤和宏)

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