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宮城◆仙台市~塩竈市 /「いき」と「だて」【いくぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2022年4月21日

▲遠く港が見える。

長野県諏訪湖近くの鰻屋で遅めの昼食を取っていたとき。「しかめっ面をしながらうまい鰻を食べるなんてのは野暮よ」とそのご老人はわたしに言ったのである。仕事が捗々(はかばか)しくなかった立春前のことだった。わたしを元気づけようと下社秋宮近くの静かな老舗鰻屋に誘っていただいた折の話である。そこはいかにも縦縞の似合いそうな艶やかでいきなお店であった。「野暮とはまた、久しぶりに聞きました」

▲諏訪の鰻重。

仙台の繁華街のはずれにあるカウンターだけの店で牛タンを食べたあと、ひとしきり地元の本屋で立ち読みをするというのが出張時のわたしのルーティーンのひとつだ。この仙台をはじめとして盛岡、秋田など東北の主要都市には個性的と呼びたい本屋が多いように思える。2年前の春に始まった御書印プロジェクトに参加しているところもある。

と、新刊棚に懐かしい書名を見つけた。『「いき」の構造』(パイ インターナショナル刊)だ。著者は九鬼周造。1930年(昭和5年)に雑誌「思想」に発表され、その年の10月岩波書店より発刊された戦前の名著である。

「九鬼」といって思い出されるのが戦国時代に紀伊水道あたりを中心に名を馳せた「九鬼水軍」だが、周造はその末裔だといわれている。わたしがその難解な古典と初めて出会ったのは、大衆酒場の有線放送で「ラ、ラ、ラーッ」と聞いたこともないダミ声が繰り返し流れていたころのことであった。記念すべきサザンのデビュー曲だ。

▲仙台の牛タン。

煙草の煙がもうもうと立ち込めるなか、5階の研究室では先輩方が当時の最先端の思想家の名を出しながら、その時代の社会をとても熱く論じ、知らないではいられない雰囲気がそこには充満していた。わたしにとって『「いき」の構造』とはそうした文脈に置かれた、息苦しくも忌まわしき本であったのだった。

それが今、新しい判型で江戸紫の鼻緒の写真が目を引く本として生まれ変わっていたのである。誤解を恐れずにいえばとってもオシャレな新刊だった。しかもここは伊達様のお膝元である。

「だて」は「立て」との一説もある。目立ち、好みがあかぬけ洗練されいきであること(『広辞苑』第七版)。人通りの少ない繁華街から宿に戻り、あらためてその本を読んでみた。

新かなづかいや句読点などによって格段に読みやすく大川裕弘氏の写真も素晴らしい。実に座右の銘になりそうな字句が散りばめられており、わたし的には今年上半期を代表する一冊として推薦したいぐらいであった。

そしてふと谷崎潤一郎の『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』のことを思い出してもいたのだ。

amazonで購入▲『「いき」の構造』と『「いき」の構造』を読む(安田武 多田道太郎著、ちくま学芸文庫

私がはじめてこの地方に来たのは20代の半ば。仙台から北東へ17キロほど行った松島湾に面した塩竈市のまちづくりで、ちょっとした仕事をさせていただいたことがあったのだ。仙台近郊の発展著しい隣接市町村に取り残されてはならぬとばかり、「土地区画整理事業」と「都市再開発事業」を組み合わせたプロジェクトがここでは進行しようとしていた。

▲芭蕉も訪れた塩竈神社境内の灯籠。

わたしは徹夜で仕上げた報告書を手に朝一番の新幹線に乗り込んだ。待ち合わせをしていた年上のコンサルタントにまず報告書に目を通していただくためだ。開口一番「ダメだな」と彼。その後仙台に着くまでわたしの仕上げた報告書を散々にこき下ろし始めました。

▲あまりに有名な青葉城の伊達政宗公像。

その後市役所の担当課に着くなり、彼は「中村氏の報告書はたたき台にもならないかも知れません」と言い放ち、30分後大会議室の満場のなかわたしは蚊の鳴くような声で報告書を読みはじめたのだが、10分足らずで話は打ち切られた。こうしてわたしの惨めな「初東北」は終了したのである。

会議室を出た後、港の方へ行きしばらくぼんやりしていたが、通り沿いにある酒屋にふと目が止まった。そこできれいな輸入ワインを一本手に取った。

薄暗がりの店のなかで縦縞細おもての女性が「いきなおにいさん、このいきなワインを買ってて」こんな一日でも悪いことばかりではない。甘いロゼの香りがした。(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)