『月刊ふるさとネットワーク』でルーラルレポートを執筆頂いている逸見(へんみ)稔さんは埼玉県熊谷市から栃木県佐野市に移住された方です。その逸見さんより、現在佐野市で「天明鋳物」の鋳物師として工芸作品の創作に携わっている正田忠雄(しょうだただお)さんを紹介頂きました。
天明鋳物は939年、今から千年も前に藤原秀郷が平将門の乱を平定するため河内国(現在の大阪府)から5名の鋳物師を佐野に呼びよせ、武器を作らせたことが発祥とされています。正田さんはその鋳物師の末裔です。
2022年9月14日(水)~26日(月)まで東京の日本橋三越にて開催された「第69回日本伝統工芸展」に正田さんの作品が展示されました。この工芸展は秋篠宮ご夫妻の次女、佳子さまがご覧になったとニュースで報道されていました。
入選された正田さんの作品は朧銀花入(おぼろぎんはないれ)「舞妃蓮(まいひれん)」と言います。「舞妃蓮」は東日本で最も高貴で美しい蓮(はす)と言われています。その蓮の蕾をモチーフとして花入にしたそうです。
朧銀とは銅と銀の合金で正田さんにとってはとても魅力のある素材とのことです。完成した作品は地味な色合いですが見続けていても飽きることがありません。
正田さんと朧銀との出会いは今から50年程前、それもこの伝統工芸展で出会いました。その時に展示されていた木村庄太郎さんの朧銀の作品を見て感銘を受け、木村さんを師と仰ぎました。「あの工芸展で木村さんの朧銀の作品に出合っていなければ鋳物の仕事を続けていなかった。」と正田さんは語られました。
そんな正田さんの朧銀花入「舞妃蓮」は朧銀ならではの渋い色調ながら、ひと際光沢を放っていました。形状は2つの蕾が重なった造形で、この形を表現するにはとても難しそうに見えました。2つの蕾をそれぞれ作り複合させたものかと思いきや、なんとこの形を一つの鋳型で制作されたそうです。
タイトルにもある蓮のモチーフは友人宅を訪問した際、庭の蓮の花が見事に咲いてることに心を動かされ、ご友人に蓮を分けてもらい自宅に植え代え「舞妃蓮」を思いついたとのこと。
「作品のアイディアは夜中就寝中に思いつくことが多々あり、寝床の横に雑記帳と筆ペンをいつも欠かさず置いておくんです。お陰で夢うつつなので筆ペンのキャップをしめ忘れ、掛け布団が黒染の斑模様になっています(笑)でもそれが次なる作品の創造につながるので私にとっても重要な時間なんです。アイディアを描き溜めた図案は優に1m以上の高さになっていますよ。」と正田さん。その図案を見返してはその中に名品につながる図案がないか時々見ているそうです。
正田さんの「舞妃蓮」が展示された伝統工芸展は重要無形文化財保持者(人間国宝)の作品と共に、鑑審査を受けて入選した作品が展示されています。スポーツで例えるなら伝統工芸のオリンピックと言えるでしょう。
そんな工芸展に正田さんは何度も入選され更に受賞もしています。ですが正田さんには後継者がいません。そのことについて「時代の流れなのでしょうがないです。日本は世界の各国みたいに伝統工芸を保護してくれません。どんなに優れた作品を創る高い能力を持った作家でも食べていくのが難しい時代になっています。
次の時代の子や孫達に日本文化の素晴らしさをいかに伝えることが出来るのか日本人全体の責任として深く考え、早々に行動しなければと考えています。質の高い作品の創造はますます困難になり日本人の資質にも大きな影響が及ぶと考えられます。もう既にその影響は出ているように思われます。
今の若者が日本の伝統工芸に関心を寄せ、自分自身と共に子や孫達の人生を豊かに生きる為の方法を考え、文化というものを自分の傍に置き鑑賞しつつ使用することにより工芸品の素晴らしさに気付かれると思います。」と正田さんは語られました。
現在、千年の歴史のある天明鋳物を取り巻く環境も非常に厳しい時を迎えています。最盛期には80軒1000人ほどの鋳物師が様々な作品を作っていましたが現在は4軒までに減少しています。歴史を重ねてきた天明鋳物の未来に希望と明るさを希求した施策が待ったなしに求められる時代だと思います。(本部 井上美穂)
※2022年10月号掲載「天明鋳物」はこちらから。