真澄は風習の絵や悍ましいことも記録している。
信濃の国の御嶽山の辺りでは、疱瘡を病んだ子供を捨て置く習俗(家庭内感染防止)があり、山中の切り拓いた平地に小屋掛けをして赤い頭巾を被った子供を寝かせ、傍らに櫃・鍋・器を置く(上記絵)。
乞食たちがこの子供に飲食させ、全快した日に家に送り返すと返礼として物を与えたという。(乞食たちはすでに疱瘡にかかっていれば感染しないことを知っていたようだ)
疱瘡の出た家の周囲に垣根を造って囲い、血縁の有無を問わず、訪問することをひかえていた。(これは近代医療以前の感染対策を知る上で貴重であるといわれている。)(上記絵)
また、天明の大飢饉(1782〜88)の頃に岩木山の北辺の村の小道に分け入ると、春先の雪がムラになって残るように、草むらに人の白骨が沢山散らばっている。
また、うずたかく積まれている。額の穴に、ススキや女郎花が生出ているものもある。
見る心地もなく拝んでいると、知らぬ人が「見たまえ、これは皆、飢え死にした人の屍だ。過年卯の年のだ。
今、こうやって道を塞ぎ、行き交う人は踏み越えて通うが夜道ともなれば誤って骨を踏み朽ちただ。」と言う。
死なば死ね、生きて憂き目の苦しさを思えば・・・とも思う。彼らは藁をついて餅にして食べたり、蕨の根を掘って食べ、今まで命を永らえてきた。(秋田駐在 片山 保)
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※「菅江真澄」シリーズ:『その1」、『その2』、『その3』、『その4』、『その5』
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