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山梨◆大月市/甲斐国の文明開化の礎【本部スタッフ・全国乗り鉄漫遊記】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2024年1月20日

▲当時としては珍しい洋風の煉瓦造で、登録有形文化財にも指定されている笹子隧道。

東京と山梨を最速で結ぶルートは、今も昔も甲州街道が最も直線的な通り道。

関東平野と甲府盆地の間には小仏峠と笹子峠と呼ばれる2つの難所があり、前者は峠を迂回して抜けることが可能だが、後者は全て険しい山々に囲まれているため、ここを通らずしての移動は現代でも不可能だ。

大月市笹子町はそんな峠を目前とした宿場町として栄えてきたが、東側の笹子と西側の初鹿野(現在の甲斐大和)を結ぶこの笹子峠は、急勾配や急曲線が続く難所であり、これまで江戸との往来を阻んできた原因になってきた。

そんな中で明治期になり鉄道が導入されると、この峠を一気にトンネルで通過する計画が持ち上がり、今から約120年前の1903年に約6年の歳月をかけて官営鉄道笹子トンネル(現在のJR中央本線下り線)が完成した。

全長4656mの長さは当時としては日本最長と呼ばれ、このトンネルが開通したことでこれまで徒歩で片道3~4日かかっていた東京⇔甲府は、わずか約6時間と大幅に短縮され山梨県の交通革命を迎えた。

その後道路側も1938年に笹子隧道(県道212号線)、1958年に新笹子隧道(国道20号線)、1966年に国鉄中央本線上り線の新笹子トンネル、1977年に中央自動車道笹子トンネル上下線がそれぞれ開通し、現在建設中のリニア中央新幹線の笹子トンネルを合わせると全部で7本となり、この地を往来する需要の高さを垣間見ることが出来たのでした。(本部 髙橋瑞希)

▲英語でトンネルは「tunnel」。(写真はイメージです)