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岩手◆盛岡市/きたぎんボールパーク【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2023年6月16日

▲きたぎんボールパークのスタンドより。この日(5/3) は少年野球の試合が行われていた。

世界に誇る二刀流、オオタニサンこと大谷翔平選手。岩手が生んだスーパースターの活躍は野球ファンのみならず多くの方に夢と希望を与えてくれます。

また、花巻東高校の先輩の菊池雄星投手や、沿岸の陸前高田市で生まれ大船渡高校卒のプロ入り3年目に完全試合を達成した佐々木朗希投手、花巻市の富士大学卒業でWBCにも出場した山川穂高選手などの躍動により、岩手県内の野球人気はますます上昇気配です。

盛り上がりの中、令和5年4月、盛岡市に新しい野球場が誕生しました。

この球場は岩手県営野球場と盛岡市営野球場の後継施設として建設された〝きたぎんボールパーク〞です。

同時に県営野球場は3月いっぱいでの閉鎖と取り壊しが決まり、半世紀以上にわたるその歴史に感謝をする多くの人々が訪れました。

▲建設中の球場(昨年)。右手にはサッカーグルージャ盛岡のホームいわぎんスタジアム。
現在はスケボーパークも開設され、緑豊かな運動公園になっている。

深刻な少子化に伴い、児童数どころか学校の数も統合され減っている岩手県ですが、大谷選手の出身の奥州市立姉体小学校には「頑張れ!大谷先輩」の横断幕が掲げられ、後輩児童が元気に通っています。

きたぎんボールパークでは6月28日にもプロ野球の公式戦が開催される予定です。

新球場をきっかけに、これから先も心技体を兼ね備えた人材が生まれ育つ事に期待です。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)

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きたぎんボールパーク(公式ホームページより引用)
・所在地:〒020-0834 岩手県盛岡市永井8地割
・アクセス
JR盛岡駅より車でやく20分
JR岩手飯岡駅より徒歩約15分
東北道盛岡南ICより車で約7分

岩手◆陸前高田市/陸前高田市立博物館〜乗り越えて継がれるもの〜【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2023年2月12日

▲再建された陸前高田市立博物館。

今回訪れたのは陸前高田市立博物館。

2011年の津波により被災した「旧市立博物館」と「海と貝のミュージアム」の展示物や資料を多くの人の努力と情熱により再生修復、建物は新しい市街地に再建され、昨年11月5日にオープンした施設です。

入館料はなんと無料。

入り口のパンフレットを手に取り館内を歩き最初にたどり着いたのは〝大地の成り立ち〞のコーナー。1850年に落下した〝気仙隕石(けせんいんせき)〞の標本と共にプロジェクションマッピングによる映像と音の見事な演出。

遠野からそう離れていない土地であっても知らなかった歴史や成り立ちを、臨場感をもって学ぶ事が出来ました。

〝奇跡の海三陸〞のコーナーでは陸前高田の生態系が、多くのはく製などの目で見て楽しめる展示がされていました。

〝宿命とともに生きる〞のエリアでは津波の歴史と教訓が紹介されており、私たちの知る東日本大震災もその長い歴史の資料の一つに加えられていました。

▲博物館屋上の展望デッキより。太平洋や防潮堤、新旧道の駅などが見渡せる。

他にも館内には資料の修復の様子や博物館復活まで道のり紹介、お子様向けの体験コーナー等もあり、家族で楽しめる施設になっていました。

皆さんも新しい拠点を探す際、博物館や歴史館などで歴史をのぞいてみるのも良いかもしれませんね。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)

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陸前高田市立博物館
住所:岩手県陸前高田市高田町字並杉300番地1
TEL:0192-54-4224
開館時間:午前9時00分から午後5時00分まで(最終入館は午後4時30分まで)
休館日:毎週月曜日(祝日・休日の場合は翌日)
    12月29日から翌年の1月3日まで
観覧料:無料(特別展示を行う場合は、展示内容に応じ観覧料を徴収する場合があります)
※詳細に関しては、陸前高田市ホームページ内の博物館ページ(https://www.city.rikuzentakata.iwate.jp/soshiki/kanrika/hakubutsukan/index.html)をご確認ください。

岩手◆遠野/いわてtsunamiメモリアル【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2020年5月24日

▲復興記念公園の様子。

当事務所から大船渡市や気仙沼市の物件案内に行く時に通る陸前高田市松原地区は、9年前の3・11東日本大震災の被害を受けて、風光明媚だった松原海岸と高田市街は一瞬にして大津波にのみ込まれました。

海岸地区の中で唯一残った「奇跡の一本松」は、当時の関係者が何とかして生き残らせようとしてあらゆる手当をしましたが、残念ながら塩害で立ち往生してしまったのです。そこで、この一本松をモニュメントとして残そうと取り組み、現在は加工処理して悠々とその場に建っています。

この度、津波被害の大きかった岩手・宮城・福島の3県に国と地方公共団体が連携して復興記念公園を整備し、国営追悼・記念施設が設置されました。その一つが、「高田松原津波復興記念公園」として完成して、そこに「震災伝承施設」と「道の駅・高田松原」が入っています。

震災伝承施設には、津波の破壊力を示す展示物やガイダンスシアター等で教訓を学べる他、公園内には現在、松原を復元しようと松苗木の植栽事業が継続されています。岩手の沿岸を訪れる際は、是非お寄り頂きたいと思います。(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲道の駅・高田松原のエントランス。

岩手◆遠野/気仙沼市から陸前高田市を通りまして【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2018年4月15日

私の管轄する岩手県から宮城県の「三陸沿岸」は、皆様ご存知のとおり「リアス式海岸」と称して、太平洋に面した岬や湾が織りなす風光明媚なところです。特に私の住む山間地の遠野から行くと、開けた青い海を見るだけで心が清々しさを感じるものです。

ところが、七年前の東日本大震災による大津波で、穏やかな街並み風景は一変し、現在も大規模な土地の嵩上げ工事が継続されていて、大砂ぼこりをあげて大型ダンプが往来しています。先日、気仙沼市内の物件案内に車で陸前高田市を経由して行ったのですが、街全体を覆う土砂粉塵が前日の雨で汚土となって、大型ダンプの勢いに巻き上げられて、自分の車に降りそそぎます。

それも、何台ものダンプとすれ違うのですから、洗車したばかりのパールホワイトの車の色は、たちまち茶褐色の泥車と化してしまいました。通常であれば、環境汚染とか公害とか、騒がれるところですが、どの車も茶褐色の芋虫みたいになって、当たり前に走行しています。

高田松原海岸は海が見えない位の大堤防が完成した中に、あの「奇跡の一本松」として話題を集めた松が保存処置されて、居心地悪そうに寂しく立っており、その横には未だに解体撤去されない校舎の残骸が残されていました。

私ども内陸に住む者、または遠方の方々にとっては、もう七年も前の出来事として、過去の事のように思えるのですが、被災地の現状は、未だに通常の環境には戻ってないのが実状です。私の友人も住宅を流失したのですが、家族は幸い全員無事でした。ようやく土地の嵩上げ工事が完成し、これから住宅の再建に取り組むとの事です。

微力ながら、自分も出来ることから支援を続けたいと思っているところです。
(みちのく岩手事務所 佐々木 泰文)