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岩手◆盛岡市/もりおか町家物語館 ~ 蔵が作り出す街並み ~ 【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2022年8月31日

皆さんは〝蔵のある家”と聞くとどういうイメージを持たれるでしょうか?

豪邸?お金持ち?お城?など・・・歴史のある名家を思い浮かべるかもしれませんが、田舎で古民家の取り扱いをしていると〝蔵のある家”によく出会います。

蔵の中には金銀財宝はなく、当時は米などの農産物の貯蔵用に建てられたものが物置として使われていた場合がほとんどです。みちのく岩手事務所がある岩手県遠野市は、江戸時代に遠野南部氏1万2000石の城下町として栄えていました。遠野駅や市役所周辺の市街地は、その歴史の趣を残した街並み作りがされています。

▲鍋倉城址から見下ろす遠野市街地。

事務所のすぐ裏手にあたる「蔵の道ひろば」は、リフォームされた土蔵などの趣がある建物の中に芝生が敷かれた公園となっており、イベント会場や観光の休憩スポットとなっています。かつて南部氏が治めた盛岡藩の中心にも、古い建物を活かした街並みづくりによって観光スポットになっている場所があります。それが今回ご紹介する盛岡市鉈屋町(なたやちょう)の「もりおか町家物語館」です。

▲蔵の道ひろば。左手の建物は綺麗な公衆トイレ。

この施設は、盛岡地区で最も歴史のある蔵元の一つで2006年まで酒造りが行われていた「岩手川」の鉈屋町工場の酒蔵を改修し、2014年に「もりおか町家物語館」として開館されました。母屋・文庫蔵・浜藤の酒蔵・大正蔵の4棟の建物の他、下屋の通路や屋外の広場を含めた6つのエリアで構成されています。

▲もりおか町家物語館。

文庫蔵だった建物は展示スペースになっており、原敬元内閣総理大臣をはじめとした岩手の偉人や歴史の資料が常時並べられている他、2階は絵本などがあるキッズコーナーになっており、お子様連れでも楽しめる空間になっています。

続きの母屋へ入ると、高い吹き抜けの見事な和室が目に入ります。畳の上も見学OK、上り口の下駄箱に上靴を入れてお邪魔します。昔懐かしの引き出しのたくさんついた階段を登ると、2階の和室にはこれまた懐かしい家電製品や食事のサンプルの置いてある部屋も、まるでタイムスリップしたかのような〝映える” 写真が撮れる事間違いなしです。

▲見事な造りの母屋。階段は急だが登りたくなる。

▲選べるアイテムで、撮影会や寸劇が始まる事間違いなし。

続いて「大正蔵」を見てみましょう。大正時代に建てられたこの建物は、大きな貯蔵樽を置くのに合わせて作られたため1階の天井が高く、開放的な造りになっています。そのおかげもあり1階部分の「時空(とき )の商店街」はまるで昔の商店街がそのままアーケード街になったような空間になっています。

▲時空の商店街。軽食や民芸品販売、酒造りの歴史の展示も楽しめる。

2階は展示スペースっとなっており、企画展が開催されている時には合わせて見学が可能です。最後に紹介する建物は浜藤の酒蔵。江戸時代に建てられたこの建物は、現在は酒蔵の歴史をつづったパネルなどが展示される浜藤(はまとう)ギャラリーとして開放され、舞台機能を持った浜藤(はまとう)ホールは音楽や演劇のイベント会場として貸し出されています。

土蔵を改修した建物の中で聴く音楽は格別で、演奏や歌声がダイレクトに心に響いてくるようです。先に紹介した遠野の蔵の道ひろばでも土蔵をリノベーションした飲食店での音楽ライブを何度も聞かせていただいており、土壁と音楽の相性の良さを改めて感じました。

▲浜藤ホール。この日は音楽のライブが開催されていた。

みちのく岩手事務所が取り扱った物件にも、土蔵をお洒落なくつろぎ空間に改装し、音楽を楽しんでおられた方もいました。 「蔵つき物件?」「何に使うの?」「要らないよ」と思うような物件でも、引き継ぐ買い手さん次第では価値のある素敵な場所に変身するかもしれませんね。(みちのく岩手事務所 佐々木敬文)

もりおか町家物語館 https://machiya.iwate-arts.jp/
電話番号:019-654-2911/FAX:019-654-2913
住 所:盛岡市鉈屋町10番8号
休業日:毎月第4火曜日(その日が祝日の場合は、その翌日)及び12月29日から1月3日
営業時間:午前9時から午後7時(最終入場 午後6時30分)
*浜藤ホール(浜藤の酒蔵)は利用時のみ午前9時から午後9時30分


 

東京◆本部/チャドクガに注意!【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年8月29日


栃木県北部某所。数年空き家状態だった別荘の売却依頼。敷地は繁茂した熊笹が下り重り、地面、境界、起伏は然り、浄化槽も何処にあるか不明。ここは運動を兼ねて刈り払い機の出動。そこでは椿の葉に「毛虫」が沢山いました。

一時間半ほどで作業を終え、長靴を脱ぎ逆さにするとその「毛虫」がどさっと、落ちてきたではありませんか!・・・時既に遅し。靴下を脱いでみると足首に赤い斑点が沢山。どんどん痒くなってきます。

更に厄介なのは〝とびひ”します。手やもう片方の足にまで赤い斑点と痒さが広がり、掻けば掻くほど悪循環。見た目は火傷のケロイド。インターネットで症状から虫の種類と対処法検索すると、「チャドクガ」という「毒蛾の幼虫」と判明。ステロイド軟膏を塗り捲りカーゼを巻き、毒針はかなり小さく何十本何百本と刺さっているので、抜くのは難しく粘着テープで取るのが効果的なんだとか。その時履いていた靴下は毒針が残っている可能性があるので捨てた方が良い・・・らしい。

この原稿を書いているのは事件から一週間経過していますが、症状はやっと落ちついた感じ。蚊とは比べものにならない厄介さと痒み。「チャドクガ」は住宅地や公園にもいます、皆様くれぐれも触れたりしないように。

この似たような文章、どこかで似たものを見たような気がします。
「あっ、マダニに注意。2020年8月号だ!」(本部 金澤和宏)

 

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チャドクガについてのQ&A(世田谷区HP)
https://www.city.setagaya.lg.jp/チャドクガ

東京◆本部/野菜の意外な親戚【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年8月26日

▲福島県田村市で栽培されているタバコの葉。

嗜好品といえば人によって好きなものは様々ですが、よく代表的な例として挙げられるのは、お酒やコーヒー、紅茶などです。

嗜好品として忘れてはならないのはやはりタバコです。

現代では至る場所で喫煙できる空間が減っています。

昔を知っている愛煙家からはしばしば嘆きの声を聞きます。

ただ喫煙スペースの減少や税金の負担額が大きくなったりしただけでは、タバコの需要がピタッと無くなることはありません。

日本では江戸時代から品種によって様々な地域でタバコの生産が行われています。

1月に種まき、5月に開花、6月に葉を収穫し10月まで乾燥させ、JT(日本たばこ産業・旧日本専売公社)に出荷されます。

東日本ではバーレー種、西日本では黄色種が主に栽培され、先日訪れた福島のタバコ畑では見事に青々とした葉が広がっていました。

このタバコという植物は、ナス科に分類されるため野菜のナスやジャガイモ、トマトの仲間になります。

これら野菜との大きな違いは、タバコは食料として実や根を収穫するのではなく、葉を乾燥させたものがタバコという嗜好品の原料となるので、野菜の仲間というより親戚にあたる存在になるのかもしれません。(本部 高橋瑞希)

🌸福島県の物件はこちらから🌸

秋田◆秋田/我が家のカモシカ 〜 その1 〜【地域駐在スタッフ・秋田からの風】

この記事の投稿者: 秋田現地案内人/ 片山 保

2022年8月23日

▲突然目が合い驚きの我が家の敷地内にて。アオキを食べ終わりこの後に休みはじめた。

旧聞になりますが、雪が降りしきる二月十二日の朝、カーテンを開けるとそこに見慣れぬ大きな動物の背中が・・・。よくみると10㎝くらいの可愛い角をはやしたカモシカ。

ムシャムシャとアオキの葉をユックリと食べている。やがて腹を満たしたのか、弱っているのかヨタヨタと歩んで軒下にごろりと横たわった。

時には顔を上げて様子を見ているようであるが、三時間あまり休んでいる。
これは弱っているのだ、ここで息絶えてもらっては困る。

どうしようと、あれこれ考えて市役所に相談しようと思ったが生憎、日曜日。
それではと、動物園に電話をしたが当園ではそういう対応はしていないが、「市の担当者に連絡してみましょう」と親切に対応してくれた。

午後、市の鳥獣担当者が来宅、曰く、生きている動物には市は何も手出しはしないとのことで、ゆっくりと刺激をしないように追うとカモシカはフラフラと弱っているような足取りで去っていった。

カモシカはこのような弱々しい素振りをするので心配なく、親離れをしたばかりの若いオスとのことで可愛らしい角が印象的でした。(その2へつづく) (秋田駐在 片山 保)

▲「東海林太郎音楽館・大鵬ギャラリー」の管理人もしています。どうぞお立ち寄りください。

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東海林太郎音楽館
http://www.donpu.net/tarotya.htm

電話番号:018-823-5145(東海林林太郎音楽館)
住 所:秋田県秋田市大町2丁目1-11榮太楼大町
休業日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)
※年末年始(12/29~1/3)、冬期間(1月~2月)
営業時間:AM10:00~PM4:00
入館料:無料

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昭和の大横綱・大鵬が愛した秋田の地。旅館・榮太楼は大鵬部屋が夏合宿の際に約20年間、力士の宿泊所として利用され、2006年に閉館。1階にコミュニティスペース、2階は社長の姉・芳子が大鵬の妻であることから「大鵬ギャラリー」を設置し「秋田三大女傑」の一人といわれた社長の祖母・キセが幼馴染であったことから「東海林太郎音楽館」も併設されている。

東京◆本部/いつかは今に。変わりゆくライフスタイル【地域深掘り・のぞむ暮らし紀行】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2022年8月20日

ここ数年、「会社がテレワークを導入したから移住をしたい」とのお客様が増えました。

ライフスタイルの変化で都市に生活をする必要が無くなり、居住地を自由に選べる方々が増えている様に感じています。 今でも退職後の楽園を求めてご購入頂く方もおりますが、時には作曲家や翻訳家、設計士、ネット販売などインターネット環境があれば、何処でも仕事が出来る方の増加。その他にも、キャンプ用品の開発の為に山小屋を購入された方、養蜂に挑戦する為に山を購入される方、心機一転農家を目指す為に広大な敷地を購入された方。など都市に住まないからこそ出来る仕事も多くあります。

地方での生活は、「日常生活には車が欠かせない」や「暑さ寒さが厳しい」などと良い事ばかりではありませんが、「会社に出社する」や「会議の為に集まる」、「取引先に出向く」の概念を無くすだけで、自然豊かな環境での生活がおくれる事は数年前までは考えられない事でした。

「いつかは地方で暮らしてみたい。」の「いつかは」は「今」に変わりつつあるのかもしれません。(本部 長内   望)

静岡◆掛川~浜松/「井伊谷」の懐かしき夏休み ~ 井伊家とわたしの龍潭寺 ~【静岡生まれ山梨県人・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2022年8月17日

▲龍潭寺山門。1656年(明暦2年)建立。

7月号掲載の浜北区の物件からおよそ二十キロ西へ行くと、都田(みやこだ)テクノポリスの丘陵地帯を経て、都田川沿いに点在する古い集落に出る。

その一角は東海道や姫街道からも遠く離れた場所であるが、実は群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の戦国時代は「駿河(するが・現静岡県)」、「信濃(しなの)・現長野県」、「甲斐・現山梨県」、「三河・現愛知県東部」を結ぶ交通の要衝地で、北遠地域随一の発展を見せた井伊谷(いいのや・旧引佐町)だ。

この地を治めた領主は「井伊家」である。古刹名刹も数多いが「井伊家」の菩提寺は本日の主舞台である龍潭寺(龍潭寺)。「井伊家」の初代は十一世紀初頭にまでさかのぼり、藤原氏の血を引くともいわれる井伊共保(いいともやす)公。地下水の豊かなこの地で生まれたのが「井伊」の謂れだが、母方の実家も実はここ「井伊谷」だった。

わたしは夏休みになると「井伊谷」に出かけ従兄弟たちと他愛もない遊びに没頭していた。そして母方の家は代々龍潭寺の檀家相談役を引き受けてきてもいたのだった。

▲龍潭寺の鴬張りの廊下。「盆帰省 逢うて走った 従兄弟らよ」

さて、井伊家十二代・道政の時代はちょうど南北朝にあたり、後醍醐天皇の皇子・宗良(むねなが)親王の元に馳せ参じ南朝方として挙兵したのである。そして駿河の雄・今川氏と対峙しことごとく敗れている。

わたしの父方の祖父は郷土史家でもあったので、宗良親王について本にまとめて出版していた。中学生のころ読んだ記憶はあるものの内容についてはよくわからなかったと思う。十年ほど前調べ物があって国立国会図書館に行ったおり、ふと気になって祖父の書いた本があるかもしれないな、と思い職員に調べていただいた。「苗字が違いますが?」と職員。「いろいろありまして」とわたし。

三十分ほどかけてその職員が見つけ出してくれたのはまごう事なきまさに祖父の書いた本だった。

戦国時代になると井伊家はさらに悲惨な道を歩むこととなる。今川義元の配下となって桶狭間に出兵したものの織田信長軍に壊滅的な打撃を被った。その後やって来たのが武田信玄と徳川家康。二十四代の直政(なおまさ・のちの彦根藩初代藩主)はまだ幼く井伊家は風前の灯であった。そこで一計を案じ実行したのが龍潭寺の南渓(なんけい)和尚だ。

▲龍潭寺に飾られている井伊家家系図。

直政を信州の禅寺に保護し、その間に井伊家を任せたのが次郎法師といい、テレビなどでは女城主といわれる直虎(なおとら)だった。ところで直虎のひいお爺さんにあたるのが二十代の直平で、直平の孫には家康の正室・築山殿(つきやまどの)がいる。直虎と築山殿とは親戚筋でもあった。

その築山殿と家康の嫡男・信康は信長の命により浜北から天竜川を越えた二俣城において幽閉され自刃している。直虎は徳政令により失脚し、龍潭寺で晩年を過ごした。成人した直政が家康のもとで徳川四天王と言われるのには旧武田軍の存在が大きかったといわれる。

▲二俣城址公園。元亀3年(1572年)10月に武田信玄を総大将とする武田勝頼軍の猛攻により落城。歴史に名高い三方ヶ原(12月)へと続き、徳川家康は生涯最大の敗北を喫した。現代においても過去最大の赤字を生んだ孫正義社長が、この敗北で描かせた肖像画を引合いに出した先日の会見は記憶に新しい。

武田家滅亡ののち、甲斐に入った家康は最強軍団を誇った山県(やまがた)衆を直政のもとにつけ「赤備え」の甲冑を施し、小牧長久手の戦いで功績を挙げたのだった。その後徳川の治世を二百六十年余に渡って下支えしてきた井伊家が幕末になって歴史に名を残すことになったのが、三十六代の直弼(なおすけ)だ。安政の大獄、桜田門外の変での当事者であった。

▲甲斐武田家の譜代家老衆・山県昌景は軍装を赤一色に統一し、周辺諸国より畏怖された。
「赤備え」の甲冑は真田信繁や井伊直政へと引き継がれた。

ここで井伊家の教訓があるとすれば次の三点が挙げられようか。

 一 南渓和尚のような実行できる知恵者がいること。

 二 大事なものは成長するまで隠しておくこと。

 三 前例によらずリリーフを立てられること。

最後に、井伊谷の石灰の岩山と龍潭寺の庭は折に触れて思い出す心の風景となっている。母無きいまも訪れてみたい場所の一つなのだ。(八ヶ岳事務所 中村健二)

▲龍潭寺の庭は小堀遠州(政一)作として知られる。真ん中に如来、左右に脇侍が控え、鶴亀の吉祥も描く。

山梨◆笛吹/桃狩り+食べ放題 ~ 夏といえば桃!!~【北の国から・制作スタッフ進行日誌】

この記事の投稿者: 編集

2022年8月14日

▲食べ頃の桃。

先日、山梨県の笛吹市に「桃狩り」に行ってきました。

予約したプランは「桃狩り」+「桃の食べ放題」。桃が果物で一番好きな私は桃の食べ放題とはなんて贅沢なプランなんだろうと道中ニヤけていました。

桃の採り方について桃園の方より説明を受けました。

「桃は枝に添って〝ぐっ”と手前に引っ張るときれいに採れます。繊細な桃はこれ以外の方法で採ると果汁が飛び散ってしまいますので気を付けてください」と農園の方。

▲桃の木。

お蔭できれいに採ることができました。その後はついに「桃の食べ放題」です。会場にはたくさんの人が桃に夢中でした。

桃を食べながら「あぁーなんて幸せな時間なんだろう・・・!」と気付けば5個も食べてしまいました(笑)

弊社では山梨県の物件を多数取り扱っております。物件見学後に桃狩りはいかがでしょうか?(本部 井上美穂)

東京◆本部/vfk必勝祈願ネイル【本部スタッフ・日々の業務より】

この記事の投稿者: 広報

2022年8月11日

▲画像はイメージです

友人がネイルサロンを経営していることもあり、かれこれ3年近く毎月施術をお願いしています。

デザインも豊富で、シンプルなデザインのものや、3Dの華やかなもの、キャラクターの絵を描いたものなど、どことなくネイルの雰囲気でその人柄が分かるような気がします。

私はというと、春は梅や桜、夏は雨や海といった季節にあったデザインを依頼することが多いです。

今年はそれに加え、地元のサッカーチームのヴァンフォーレ甲府(vfk)を応援すべく、4月からヴァンフォーレのユニフォームではおなじみの武田菱を描いて貰い、信玄公からのご利益にあずかろうと画策しています。

その効果は…
【武田菱前】
2・3月の対戦成績は1勝3分3敗、J1昇格にこれは厳しい。

【武田菱後】
4月 4勝2敗、武田菱効果あり!
5月 1勝5分、あれ?効力が落ちているのか。
6月(天皇杯含む) 3勝1分2敗、少し持ち直した! 

お守りネイルを胸に、試合ごと一喜一憂する楽しい週末を過ごしています。(本部 大野 美紗子)