榛名山の南東に位置し、平成の大合併で高崎市に編入された箕郷町(みさとまち)。ここには日本百名城にも数えられる箕輪(みのわ)城(跡)がある。築城された正確な年は不明だが、長野氏によって築城され、戦国期には長野業正(業政・なりまさ)によって上州に侵攻した武田信玄を幾度と無く撃退。「業正一人が上野にいる限り、上野を攻め取ることはできぬ」と言わしめ、箕輪城攻略は、業正の死を知って初めて成就された。
武田氏滅亡後は、業正と縁のあった真田家を経て、箕輪城は織田家中の滝川一益、相模の北条家など大国に翻弄されることとなり、徳川家四天王・井伊直政が入城、直政が高崎城に本拠地を移すまで、北関東の要であった。高崎城への移城は武士、職人や商人、寺社仏閣まで城下町全てが引っ越すまでのもので、連雀町や鍛冶町など箕輪から高崎に町名まで引き継がれ、反対に空き家となった箕輪城下を指して西明屋や東明屋の地名が生まれたと言われている。
現在の城跡は直政在城当時のものとされ、広い敷地は散策コースとなり、四季折々の自然、特に深さのある土塁は見応えある。近隣の箕郷梅園と共に、梅や桜の季節にかつての群馬の中心に訪れてみてはどうだろう。(本部 星野努)
※落城時の城主・業盛(業正の息子・享年23)の墓碑より:春風に梅も桜も散り果てて、名のみぞ残る箕輪の里かな
▲本丸を囲む深い堀跡と土塁。百名城スタンプは支所と公民館にある。
投稿者プロフィール
最新の投稿
- 本部・地域担当より2025年2月5日東京◆本部/少数派を取り扱う私たち【本部スタッフ・日々の業務より】
- 本部・地域担当より2025年1月26日新潟◆村上市/日本海からのお歳暮【本部スタッフ・ご当地ローカル発見伝】
- 本部・地域担当より2025年1月22日東京◆本部/媒介業者の知らぬ間に【本部スタッフ・日々の業務より】
- 本部・地域担当より2025年1月19日東京◆本部/4号特例が変わります【本部スタッフ・不動産まめ知識】