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新潟◆中越/あと1日ズレていたら・・・関越道立ち往生【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2021年1月31日


昨年12月、その年最後の新潟出張をしました。当日の天気予報では雪マーク。そのこと自体は新潟では驚きませんが、さて、交通手段をどうするか・・・。

逡巡した結果、大事を取って新幹線とレンタカーで行くことに。

越後湯沢駅から関越道を一路長岡へ。大粒の雪がしんしんと、否、どんどん、?!適当な表現が思いあたりませんが、兎に角凄い量舞い降りてくるではありませんか。まるで手付かずの雪原を走っているかの様よう!


「ここは天下の関越道?」と、疑いたくなるほどの状況・・・車線や縁石が分からない。各々が大体の場所を走り、停まってしまう車もチラホラ。

私のレンタカーは4WDの軽自動車、十日町の山奥も行き、なんとか全ての用を終え無事越後湯沢駅へ帰庫。次の日のニュースでは日本海側の大雪警報・・・なんとそこでは自分が昨日走った関越道の立往生発生のニュース。最終的には2000台以上の車が2日以上にも亘り立往生した事態でした。

日本一の降雪地帯を通る高速道路にも係わらず、、、原因は諸事あるようですが1日で1m近く降る量というのは、1、2月では無いことはありませんが、「12月」という時期で言えば稀でした。皆様も冬季間お出掛けの場合は充分お気をつけ下さい。(本部 金澤和宏)

秋田◆男鹿市/横縞ジャージと角のない使者【行くぞ!北東北・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年1月28日

▲青々としたラグビーグラウンドへ。

常勝早稲田に対し小柄なウイング吉田義人選手(よしだよしひと)率いる明治フィフティーン。鍛え抜かれた両チームの選手たちが国立のフィールドを駆け回る。

一九九〇年前後は、わが国大学ラグビー界にあって黄金期ともいえる時代だった。ユーミンの歌とともにその大学ラグビー界を早稲田と明治が牽引していた。まさにその年に行われた関東大学ラグビー対抗戦の最終戦早稲田対明治の試合はチケットを持たないファンが国立競技場を取り囲むという騒ぎとなり、試合前から両チームに対し熱い視線が注がれていた。

結果は引き分け。ノーサイドの笛がフィールドに鳴り響くと一種異様な叫びが地響きのごとく沸き起こったことを記憶している。早稲田と引き分けた明治は翌年一月に行われた大学選手権で優勝し八回目となる大学日本一の座についたのだった。

東北地方では、ラグビーといえば「北の鉄人」で知られる岩手県釜石市のラグビーチームが有名だが、男たちのぶつかり合いに象徴される当時の現業を地域で支えてきた工業高校の存在も忘れてはならないだろう。黒沢尻工業、盛岡工業、そして秋田工業。男鹿東中学より進学し秋田工業で一年生からレギュラーだった吉田選手は、そこで全国制覇も達成した。明治の名将・北島監督は新入生時代から彼の抜きん出た素質を見抜いていたという。

▲「質実剛健」を校訓とする秋田工業高等学校。

この冬、大正時代から連綿と続く「秋工」の横縞のジャージが高校ラグビーの全国大会・花園行きを決めた。ちなみに当社秋田駐在の片山の奥様はこの高校の隣が実家だった。また、高校サッカーではみちのく岩手事務所の所長・佐々木の母校である遠野高校が全国大会の切符を手にした。(わたしも両校の活躍を両県の皆様とともに応援しています)

男鹿市(おがし)には有名な道の駅「オガーレ」がある。毎日新鮮な日本海の魚介類が入荷され、その場でさばいてもくれる。わたしは「しょっつる」をお土産に買った。

そこから山道を一時間ほどいくと「なまはげ」の発祥地ともいわれる真山(しんざん)神社に着く。山自体が御神体だといわれるスケールの大きな神社で、静謐(せいひつ)な境内には平日にもかかわらず、御朱印をいただきにきた人もチラホラ見受けられる。実はこの地区のなまはげには角(つの)がない。

大みそかの夜に一軒一軒を訪ねる彼らこそこの地区の守り神の使者だからだ。家の中に隠れた子供たちを探し出して荒々しく説教し、今年の厄払いと来るべき年も家族の無病息災を祈念する。どこの家でも丁重なおもてなしを受けて、凍りつくような夜道を彼らは帰っていくのだ。 (北東北担当 中村健二)

▲なまはげと家のあるじとの問答(「なまはげ館」にて)

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男鹿市への移住について
1 市の窓口:企画政策課移住定住促進班
電話0185-24-9122
2 オンライン移住相談(月曜から金曜日、10:00~17:00)
希望日の3日前までに申込。
3 移住支援補助金制度あり。
4 空き家バンクは売買物件の登録が多い(HP)
※直接登録業者へ問い合わせる仕組み。

http://www.city.oga.akita.jp/index.cfm/13,0,87,html

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岡山◆岡山エリア/ご当地運転ルールにご用心!【本部スタッフ・ふるさと見聞録】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2021年1月25日


昨年の秋、岡山に行ってきました。新幹線で東京から岡山駅まで約1万7000円で、駅前にはビジネスホテルとレンタカー屋が複数軒を連ねます。岡山駅が出張族にとってありがたい拠点のイメージがあるのは、10歳の息子が3歳の誕生日の時に、ここから出雲大社~京都までレンタカーで周遊した記憶があるからです。

岡山城や後楽園方向、路面電車や大きな店舗の並ぶ桃太郎大通りの東口界隈、市内からの脱出口のような静かな発展を遂げる西口の風景は、当時とそれほど変わっていませんでした。



今回も同じ西口のレンタカー屋さんで車を借り、瀬戸内海方面へと出発しようとしたところ、店員の方が気になる一言。「岡山の人はウインカーを出さないことがあるから気をつけて」。また車内で流れるFM ラジオからも、番組の終わり際に「皆さん、車線変更の時はウインカーを出しましょう」とラジオパーソナリティの呼びかけまでありました。


確かに頻繁に車線変更が必要になりそうな市内の道路は、皇居前や首都高羽田線あたりを走るような緊張感がありました。事前の注意喚起で知識を得られたのが幸いして、ウインカーのタイミング、前の車の挙動を注意し、そのような車とは遭遇しませんでした。

「茨城ダッシュ」や「名古屋走り」くらいは聞いたことがありましたが、瀬戸内海を走るなら、「阿波の黄走り」「伊予の早曲がり」などにも気をつける必要があるようです。(本部 星野 努)

福島◆福島エリア/発見!県の形がそっくり!【地域深堀り・のぞむ歴史紀行】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・本部スタッフ

2021年1月22日

昨年の7月より福島を担当する事になり早半年。今まではあまり意識せずにいましたが、福島県は思っていた以上に広い県でした。

都道府県別面積順位では皆様1位と2位はご存知の通り「北海道」と「岩手県」ですが、個人的には長野県が「3位かな?」と思っていました。しかし続いて3位に入る福島県。特徴としては太平洋側が「浜通り」阿武隈高地を挟んで「中通り」奥羽山脈を越えて「会津地域」となります。

南北への縦移動は国道4号線を栃木から宮城の県境で約110㎞。比較的容易ですが、東西への移動(いわき市~南会津町)は野を越え山を越えて150㎞程ととても大変な道のり。どの道が最適かと地図を眺めていると福島県の形がオーストラリアに見えて来ました。

試しに、福島県とオーストラリアの地図を重ねてみると、やっぱり似ている。エアーズロックと猪苗代湖の位置関係までもが酷似している。地図を眺めていると意外な発見があり、楽しみが膨らみます。
(本部 長内望)

山梨◆山中湖村/三島の湖の見せる文体【いくぞ!甲州・所長ふるさと随想録】

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年1月19日

▲三島文学館入口(山中湖村)。

佐藤秀明館長はその朝、地元紙に書いていた。

山中湖の三島文学館の展示室で、遺作となった『豊饒の海」の原稿を見ていると(中略)原稿用紙に力を入れて万年筆で彫ったような文字が連なっている

「山梨日日新聞」(二〇二〇年十一月二十五日)

同館長三代目となる佐藤秀明さんは、わたしが入学した大学を翌年卒業されている方でもある。万年筆で彫るとはどういうことか。わたしは三島由紀夫の自筆原稿を見てみたいと、そのとき強く思ったのだった。

山梨県では甲府盆地に周囲の山を越えずに接する地域を「国中(くになか)」、甲府盆地から山を越えていく地域を「郡内(ぐんない)」と呼ぶ。山越えの山中湖は郡内地域にあたっている。八ヶ岳南麓の北杜市からは富士北麓の山中湖村へ行くにはいくつかのルートがある。行程は約80キロあまりだ。

わたしはふと、「若彦(わかひこ)トンネル」を通ってみたいと思った。

国道20号線を小瀬(こせ)の先「蓬沢(よもぎさわ)交差点」で右折すると景色が一変する。集落を過ぎて御坂山系へと向かう県道は、いつのまにか畑の真ん中を走っている。

周囲にはぶどう棚と観光農園が現れてきた。その先は一面もも畑だ。「更埴のあんず、高遠のさくら、八代のもも」と呼ばれ、毎年三月中旬のほぼ同じ時期に見ごろとなる。

山梨長野両県をまたぐ大きな三角形をなすこのあたり一帯は、春の百花繚乱の場所として名高い。ゴルフ場を左に見ていくつかのヘアピンカーブを上り切ると、峠の鳥坂トンネルだ。トンネルを出るとそこは旧芦川村(あしがわむら)。五百人ほどが暮らし、地域おこしの里としても知られる。

▲日当たりの良い段々畑に石積みが続く(旧芦川村)。

段々畑の石垣造りは芦川ならではの景観といえる。目指す若彦トンネルはもうすぐ。この県道はかつて甲斐国と駿河国を結ぶ古道「若彦路」であったため、この名がつけられたという。いまは「国中」と「郡内」を結ぶ主要道路である。

若彦トンネル

標高が千メートルを超え、甲府盆地とは気温が五、六度下がったように感じた。長さ二千六百メートルの若彦トンネルを出ると一気に下り坂になる。そこはもう富士山のお膝元富士河口湖町だ。

この町に住もうとお考えの方には、湖も山も見えないこのあたりの高台をわたしならお勧めする。河口湖から忍野八海(おしのはっかい)を過ぎると目的地の山中湖村に入る。小学四年生の夏休み、父親に連れられて御殿場を経由してこの湖に来たときのことだ。湖畔には数多くの欧米人が水着姿で日光浴をしていた。日焼けした背中と腹、そしてサングラス。片手に持った缶。いまもなぜかそのことを鮮明に覚えている。日本人と思しき姿はそこにはなかった。

▲いまも山中湖にはレジャーボートが係留されている。

目指す文学館は、林を切り開いた閑静な場所にひっそりとたたずんでいた。三島は生きていれば九十五歳になる。入口で検温と連絡先を記入し展示室へ。

観てまわったものの、『豊饒の海』の直筆はなかった。

そのかわり、わたしが十代のころ慣れ親しんだこともあった『美しい星』の原稿がうず高く机上にあった。ブルーブラックの万年筆で二十字×二十行のマス目いっぱいに書かれた文字。もうみごととしか言いようのない端正な文字だ。

丁寧にゆったりと書かれている。それはあたかも演劇的な、見せて見られるような文体だ。

たとえば「行つてしまつた」と書くときの「つ」。雑誌編集者にもどうだと言わんばかりの筆圧を三島は見せつけている。いっぽう彼は昭和三十四(一九五九)年ごろからボディビルを始め肉体の改造をしていたという。鍛え上げられた肉体を惜しげもなくさらけ出し、カメラの前でポーズを取る。どうだと言わんばかりのその筋肉。見せて見られる肉体だ。

なるほどね・・・。三島にとってはそういう意味で、文体も肉体も自己のひとつも隠しごとのできない「正直さを映すことば」(佐藤氏)だったのかも知れない。

陽が落ち一気に寒さの増す文学館をわたしは後にした。(八ヶ岳事務所 中村健二)

三島由紀夫文学館

岩手◆遠野/デンデン太鼓の音がする ~ 明るい夜明けが来ますように ~【みちのく岩手・新遠野物語】

この記事の投稿者: みちのく岩手事務所/ 佐々木 泰文・佐々木 敬文 

2021年1月16日

▲しし踊り前の様子。

木枯らしが吹く初冬の街中に、何処からともなく「キッカダカット・ダンコダンコ・デデスコデンデン・デデスコドン」と太鼓の音が響いてきました。当事務所は、遠野市中央通りの蔵屋敷を集めた「蔵の道広場」の一角にあり、例年であれば、遠野市観光行事の「桜まつり」「遠野ホップ収穫祭」「産業まつり」「永遠のふる里遠野まつり」等々のイベントが開催されて、季節ごとに観光客、地元の方々で賑わう所です。

昨今はコロナの禍で保育園の行事から始まり、学校行事、各種観光イベント、神社の例祭から各自治会・集落の小イベントまで中止又は縮小となってしまいました。町内の老若男女々が我慢と忍耐を強いられて、疲れ果てている中で、突然聞こえてきた「キッカダカット・ダンコダンコ・デデスコデンデン・デデスコドン」と太鼓の音に、皆驚き、勇み、喜んで見物に飛び出して大拍手です。

市内のしし踊り保存会の「踊納め」として、久々に蔵の道広場に繰り出して来てくれたのでした。皆の心も、太鼓に鼓舞されて元気になったような気がします。初冬の一コマ、明るい夜明けが来ますように!(みちのく岩手事務所 佐々木泰文)

▲踊収めのしし踊り。

岩手県の物件一覧はこちら

群馬◆安中市/物件ウォッチ誌上オンエアー (文化放送「大人ファンクラブ」毎週土曜日06: 25 より。中村の放送回は毎月第4週目)

この記事の投稿者: 代表取締役・中村健二

2021年1月13日

群馬の奥座敷 伸びやかな丘陵地帯の二棟の住宅

◆群馬県安中市(鷺宮)1400万円

今から三十数年前、信越本線を使って長野県へ仕事に向かっていたころのこと。高崎駅を過ぎ車窓に妙義山が見え始めると横川駅だ。到着するとしばし電車が止まる。これから碓氷峠の急こう配を登るために、「アプト式」と呼ばれる歯車型の車両を連結する作業を行う。

信越本線の難所中の難所で文字どおり一歩ずつ歯車をかみ合わせながら長野県側へと向かっていく。その時速は10㎞に満たないといわれた。 旅行者の多くはこの停車時間を利用してあるひとつの行動をとるのが常だった。

ホームに出た売り子や駅の売店を目指し、名物の駅弁をすばやく買っていく。これが「峠の釜めし」である。あるとき私のとなりに乗り合わせたワイドショーの司会者がいた。テレビで見るそのままの短髪とだみ声で「わたしはいつも買っていますョ」と誰彼となく話し始めた。軽井沢に向かうそのひとときを釜めしとともにいとおしそうに味わっているような印象であった。旅の速度は遅い方が良いのかもしれない。安中市とは、わたしにとってはそんな町であった。 

この物件は、高崎から西へ車で三十分ほどの距離にある。私は逆向きのコースで山梨県の国道141号線(清里ライン)から小海町の中部横断道を経由して上信越道下仁田インターで下車した。ひところと比べ、高速道路の車の数は格段に増えていた。このあたりの地域の特徴は散村(さんそん)と呼ばれ、耕地の中に点在する民家がつかず離れずに建っていることだといえる。かつて建築家の原広司氏が『集落の教え』のなかで展開した「離れて建つ」という論を思い起こさせもする。

その耕地は伸びやかな台地状の一面すべてを覆いつくしている。畑に植えられているのはコンニャクイモだ。物件はそうしたコンニャク畑の一隅にあった。のどかな丘陵地帯と日当たりの良い立地、集落からの距離感など、都市と農村を結びながら密を避けたこれからの暮らしを希望される方にふさわしいのではないだろうか。

いっぽう、この場所は都市計画の区域内(非線引区域)であるため、無秩序な開発行為はしづらく今後もこうした景観が確保・維持できるだろう。それは心強い話である。建物は二棟あるが、まず目につくのはその基礎と擁壁の堅牢さだ。がっちりと躯体を保持している。また、公営水道も苦労して引き込んだという。東京都内在住のオーナーはここで、自らの作品を展示するギャラリーと知人たちの作品を紹介するサロンを目指していたと聞く。そのためこの両方の建物の特徴は壁が多いということだ。

プロでなくとも自らの手仕事で作り出したパッチワークやコットン刺しゅうなどを壁掛けできる場所はここには豊富にある。そうした利用の仕方がこの物件では活きるのではないか。

そして二棟あるうちの手前一棟は賃貸に回すという手も考えられる。ここから1.4㎞ほどの所には親子が休日に校庭でキャッチボールをしている小学校もあるし、都市の喧騒を離れて家庭菜園を楽しんだり、登山や渓流釣りなどレジャーの拠点としても利用したいところ。

その後、隣接市の富岡市が誇る世界遺産「旧富岡製糸場」を見学した。わたしは子供のころから工場見学が好きで、お土産にパイが出るわけでもないがここでもじっくりと見て回ることができた。前日にこけら落としとなった建物では演劇が始まっており、密を避けるために人数制限をしていた。

日も暮れなずみ最後に磯部駅近くの土産物屋によって素朴な磯部焼を買い、「塩泉」として名高い磯部温泉(日帰り)に入って帰路についた。ちょっとした小旅行気分を味わうことができたのだった。(八ヶ岳事務所 中村健二)

A棟内部

B棟内部

栃木◆那須/コロナ対策の那須店年中行事・香り抜群!生醤油披露で上品な振る舞い??【那須高久・里山日誌りたーんず】

この記事の投稿者: ふるさと情報館・那須店/高久 タケ子

2021年1月10日

11月21日 醤油搾り

令和2年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で「コンニャク作りイベント」を中止にしましたが、醸造中の諸味は出番が無くても絞らない訳にはいきません。醤油絞りは例年通りにやることになったのですが、いつも指導に来て下さっているつくば市の醤油製造蔵元沼屋本店さんが来られず私達だけでやることになりました。

仲間達はうろ覚えで何となく始まって、諸味を入れた袋を積み重ねていると「あらら?袋がてんこ盛り?!」の声にそちらをみると舟の上にてんこ盛りになっている・・・本気になって昨年のことを思い出す。1回目が沈んで空きができたら残りを載せた気がする・・・と思った時は遅かりしで、もう全部載かっていた・・・。以前、無理に圧を加えると良くないと聞いていたので、軽く重石をして自然に沈むのを待つことにした

▲ギリッギリッ!と全身の力を込めてジャッキを回します。

あれやこれやと言っている間に、舟口からお醤油がツツツーっと流れ出て来てポトリと落ちたひと滴、この時から本格的に醤油搾りが始まりました。

ピッタン、ポットンの音が消えるとギリッ!ギリッ!とジャッキを回し圧を加えるとツツツーっと流れ出る。この繰り返しを1日に何度もやります。ある日ちょっぴり味見をすると「うま~い!」ゴクンと飲み込むと喉の奥の方から香りが戻って来て鼻に抜ける。こんなに旨いものを独り占めなんて心が痛む?と思い、稲刈りのお手伝いに来てくれた方々にお振る舞いをすることにしました。

11月28日 生醤油披露

久しぶりの集会に昨日から気忙しい。何故かと言うと新型コロナウイルス感染対策に知恵と工夫を絞り出し食事と会場の準備をするからです。食事はいつもの大皿は止めてお弁当用のパック詰め、しかも2パック(二の膳付き?)その他栗おこわ、生野菜のパック詰め等食事関係の段取りOK 。

次は飛沫防止のアクリル板を見つけにホームセンターをはしごしましたが、私の探しているものが無く諦めて帰ろうとした時、レジの所にビニールシート状のものが下がっている・・・これだ!と思い聞くと「売り切れです」と素っ気ない返事。

何気なくテーブルクロス売り場に行くと「つかって実感。魔法の透明シート。静電気防止、抗菌処理でいつも清潔」等の歌い文句が書いてあるテーブルクロス発見!これなら使用後にテーブルクロスとして利用できると思い4m 買って来ました。

次に園芸コーナーに行き、伸縮タイプの菜園支柱と竿を見つけ、取り揃えながら頭の中に何となく設計図?ができました。明日どうなることやら・・・。

▲飛沫防止のアクリル板ではなく「魔法の透明シートのテーブルクロス」で創意工夫中です。

今日夕方に集合し手打ちうどんを作る人、飛沫防止シートを張る人、お弁当パック詰めをする人等、分担作業で進めました。シート張りをする人に私の思いを説明すると、さっそく取り掛かりましたが、ちょっと違うかな?と途中まで思いましたが、仕上げは上出来で私の頭の中の設計図は急いでかき消しました。

夕方6時頃になると全員集合したので、いよいよ開始です。席に着くとお向かいさんの顔がはっきり見えず何とも落ち着かない・・・「霧が掛かっている様で美しく見えるよ」なんて言っている人がいるが、私には度の合わない老眼鏡をかけた時のようで、長いこと見ていると目まいがしそうです。

▲二の膳付き?の田舎膳。

静かにカンパイをして、先ずは釜あげうどんからと、手打ちうどんに薬味を入れ生醤油をかけてズズズーっ!とすする。「おいしいな?」「うまいな?」の声があちこちから聞こえてくると身内が褒められている様で嬉しさが込み上げて来ます。

「4回もお代わりした」と言う人やお腹をさすりながら「うどんだけで満腹になっちゃった!」という人もいました。お弁当だけ頂いて帰ろうかな?なんて冗談も飛び交い、久しぶりに小声で上品?に笑いました。

ただでさえ聞き取りにくいのにテーブルの中程に透明シートが張ってあるのでほとんど話が通じないのですが、分かった振りをしてトンチンカンな受け答えをしている人達の会話を聞いただけでおかしくて笑ってしまう。小さく上品に笑っても、ちょっとだけ表情筋が緩み笑顔が戻って来ました。(那須店 高久タケ子)

▲飛沫防止のアクリル板ではなく魔法の透明シート?テーブルクロスで代用。お向かいの人が美しく見えるとか・・・。

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