当時、軽井沢と人気を二分していたリゾート地・清里にわたしの入学した大学は縁があって、学生時代の夏は毎年のように「清泉寮」へ来ていた。キャンディーズが後楽園球場で解散コンサートをしたころのことである。
牧場から伸びる山々の稜線のその先には富士山があり、素直に感動したものだった。たとえば「普通の女の子たち」が遊びに来るこんなところで暮らしたいとその当時は思ったのかどうかはわからない。
人よりも長く学生生活を送っていた5年生時は長野側の野辺山の農家に半年にわたり住み込みをし、キャベツなどの収穫を手伝ったことも。いまもペンションの売却相談などであのあたりに行くと「どこ泊まってただ?」とときどき畑のほうから誰かが声をかけてくる。
「キクチさんのとこ」というと「このあたりはみんなキクチずら」。それで打ち解けることもあるから不思議だ。
千曲川の水はその当時と比べて温くなってきたと聞くこともある。ステイホームの日常がはじまるとこれまでの「普通の暮らし」がいかに有り難かったか身に染みる。
それでも、思わぬ発見もある。
八ヶ岳南麓の我が家近くには池の周りをゆるく整備した遊歩道がある。知る人ぞ知る貴重な野鳥の宝庫だといわれるが、ここを散歩することを日課と決めて兼好法師のごとく池をめぐっていると、大小の石に生える苔のなんと多いことかを気付かされる。
ここは「苔のほそ道」だったのだ。
そこにいつか甕を設置して水琴窟が作れないものだろうか、と思案している自分が怖い。
新年の言祝(ことほ)ぎは祈りへと変わる。それはたとえば「健康」であり、気象庁が断念した「生物季節観測」でもある。失われる前に手を打つことが必要なのだ。
昨夏九十七歳でお亡くなりになられた外山滋比古先生の言葉ではないが、「中心だけでなく周縁をよく観察してみる」こと。2021年もますます大事になってくる「セレンディピティ」。
そして先生は、「ゆっくりいそげ」と。 (八ヶ岳事務所 中村 健二)