▲緑豊かな鳴子峡。
「鳴子峡」は宮城県内の紅葉の名所として知られている。今回その近くの、めったに物件としては出ない「オニコウベスキー場」に物件があるというので、初めてその地を訪れることとなった。東北自動車道古川インターを出ると周辺は穀倉地帯の平野部が広がる。ここからひたすら40数キロ西の山を目指していけばよいわけだ。
宮城県北西部の中心地・古川を要する「大崎地域」は周辺を入れると30数万人の一大都市だが、わたしはそれとは反対方向の鳴子(なるこ)の湯治場の先へ向かおうとしている。江合川(えあいがわ)に沿って山側に続く国道47号線はどことなくディープな感じがした。それは結果として思っても見なかった方向へとわたしを導いていくこととなっていった。
▲東北自動車道古川インターの出口看板。
途中、岩出山(いわでやま)地区に出た。ここには16世紀の最後の10年間(1591年から1600年)、関ヶ原の合戦の頃まで伊達政宗の居城があったという。2006年(平成18)に大崎市と合併するまでは宮城県玉造郡の中心地でもあった。そしていまは全国有数の売上高を誇る「道の駅」が実はこの国道沿いにあるというのだ。その名を「あ・ら・伊達な道の駅」という。正面にはなんと「至福の入口」の文字。駅内をぶらつきながら、今日の昼ごはんはここで調達しようと思い立ち、わたしなりのご当地食材を買っていくことにした。
▲凝った作りの道の駅だ。駅内にはクリーニング店もある。
「鳴子温泉」あたりからこけしの製造販売店が増えてきて山も間近に迫ってきた。ここから国道108号線に右折する。4つほどのトンネルを抜けると「鬼首(おにこうべ)」だ。山あいの温泉や役所を過ぎてさらにその最奥に「オニコウベスキー場」がある。かつて大手ディベロッパーが開発したものだが、近年のスキー人口の減少によりどちらかといえばひなびた感があり、それが逆にこうした時代には休日を家族とともにゆったりと過ごすのにはふさわしい場所であると感じられた。
▲「オニコウベスキー場」遠景。
物件はペンションの建ち並んだ丘のいちばん奥から4軒目。現在は個人の別荘として利用されているとのこと。なるほど。周辺を見渡していると山の斜面に丸い物体がふたつ見える。4人乗りのロープウェイで麓の発着所には「センターキューブ」とあった。家族連れが避暑がてら乗りに来て山頂のカブトムシ観察所や遊歩道を目指しているのだという。わたし的にはどこか「スターウォーズ」的世界のような気がして興味が湧き、乗ってみることにした。
▲空飛ぶキューブ発着所。
▲空飛ぶキューブ。
斜面を登るキューブの乗り心地は、大げさに言えば飛行機で離陸するときの高揚感、そんな感じだった。飛行機にはここしばらくご縁がないけれど、時間にすればわずか8分ほどの旅。そして山頂に着く。標高は1100メートルで一気に数百メートル上昇したことになる。麓とは3度ほど気温が低い。遠くで子どもがヤッホーと下界に向かって叫んでいた。
わたしは他に誰もいない山頂の休憩所で「道の駅」で買ってきた昼ごはんを広げた。三色餅、味噌お握り、鳴子まんじゅう、仙台牛コロッケ、鳴子温泉水と、まさにご当地尽くしで長距離ドライバー並みの食欲だ。
▲この日のお弁当。
最後に鳴子峡に行ってみることにした。ここから車で15分ほどの距離だ。紅葉前のこの時期は人影もまばら。撮影ポイントの橋はみごとに緑一色だ。どことなく山梨県の清里にある赤い橋に似ているが、渓谷の深さは清里、スケール感では鳴子峡に軍配が上がる。レストハウスでソフトクリームを食べる中高年もいて森林浴を楽しんでいるようだ。
さて、このあと次の取材先に行こうかと思った矢先、目に飛び込んできたのは「尿前(しとまえ)の関所跡」のすこし薄汚れた看板だった。なんと鳴子峡は「奥のほそ道」の重要ポイントでもあったのだ。勉強不足ではあるが誰も教えてくれなかった。芭蕉と曾良は大変な行脚の先、この「出羽街道」を進みここから国の境を越えて行ったのである。
わたしは関所跡へ導かれるように車を向けていた。(以下次月号へ)(宮城・岩手・秋田担当 中村健二)