長野県塩尻市店舗兼住宅 950万円
「関所と漆器の町の住まい」(物件№16989H)
今回は長野県塩尻市の趣のある物件をご紹介します。塩尻市というのは端的にいうと二つの顔を持つ市で、とても特徴のある町。
塩尻市は県のほぼ中央、信濃の国の四つの平らのうち、松本平の南端に位置し人口6万5千人ほどが暮らす中核市だ。北部は扇状地が広がり水はけと日当たりの良い土壌、寒暖差が大きい気象条件を活かした果樹栽培が盛んで、ことにブドウの一大産地として内外に知られ有名ワイン酒造メーカーも数多い。
▲市内のワイン酒造メーカー。
▲市内のワイン酒造メーカー。
いっぽう、諏訪湖の北岸下社秋宮(しもしゃあきみや)の門前で甲州街道と交わる中山道はここ塩尻を通り、新大関となった御嶽海(みたけうみ)の故郷・上松町(あげまつまち)から恵那山峠を抜け岐阜の中津川などから京へ上る五街道のひとつとして、京と江戸を結ぶ古くからの交通の要衝地であった。途中、わたしの好きな「岐阜・高山」へも抜けられる。
さて中央道塩尻インターを抜け南西方向へ。いまの中央西線・洗馬(せば)駅辺りからは景色が一変する。ブドウ畑があっという間に峡谷に変わるのだ。蛇行する奈良井川と交差すると国道19号線の真新しいトンネルが出来ていた。トンネルを抜けると「是より南 木曽路」となる。かつての尾張藩領に入ったのである。
▲塩尻インター出口。
その少し開けた河川敷にあるのが「贄川(にえかわ)関所」だ。木曽福島の添え番所として藩の貴重な木曽檜で作られた漆器類、そして「出女」の取り締まりにも目を光らせていたという。いまは市の教育委員会の管理するこの関所管理人の案内で、室内を拝見した(入館料は300円)。
▲贄川関所。北側は奈良井川の急傾斜の渓谷となっている。
その最奥にある小部屋こそ出女に対するキツい取り調べが行われていたといい、そこはかとない隠微さが漂っていた。わたしはこれまでも新居(あらい/静岡・湖西市)や気賀(きが/静岡・浜松市)、尿前(しとまえ/宮城・大崎市)などの関所を越えてきたが、江戸時代の旅人にとってここもひと苦労の場所であったのだ。
国道19号をさらに南下しコンビニの手前で右折するとそこは旧中山道となる(国道257号線)。ここは国道、鉄道、河川が平行に走っている。周辺には道の駅や市の最南端の「楢川支所」があるが、いきなり歌舞伎座と思しきものが現れた。車を停めて見ていると人が寄ってきて「うちの社長がコロナ禍でも元気を出すように、発奮して」作ったのだという。地元の業務用家具を専門に作る社屋だった。正面には吉良上野介邸の立派な門構えも。ありがたく写真も撮らせていただいた。
▲旧中山道の歌舞伎座(?)。
そこを過ぎた高台からは木曽平沢の町並みが一望できた。木曽漆器の本場であり、「重要伝統的建築物群保存地区」に指定されている職人の町である。目指す物件はその中心地のメインストリート沿いにあるのだ。沿道では除雪に精を出す住民も多く、どこかタイムスリップしたような感覚だ。
物件は角地にあたる。その脇を抜け140メートルほど上ると正面が木曽平沢駅である。雪にたたずむ漆職人の町。クラシカルな趣きのある木曽路だが、この先の奈良井や福島といった宿場とも異なり、職人の技を今に伝える貴重な町として、この物件も再生されんことをわたしも切に願う。
▲平沢地区のメインストリート。
所有者は県内在住者でこの物件を相続にて引き継いでいる。高齢により通いきれなくなったためのご売却と聞いている物件だ。築年が昭和36年というから、この建物も還暦を過ぎたことになる。わたしともほぼ同い年ということだ。内装はところどころ傷みが見られるものの10年ほど前に屋根を張り替えている。水回り設備を中心に取り替えの時期にもきているということだ。かつては職人たちもともに寝泊まりした建物で、ペンション並みの広さがある。好立地をさらに活かせるような店舗(インテイリアや雑貨、飲食店など)夢の広がる物件だ。
そのあと、国道19号を南下し権兵衛トンネルを抜け伊那谷に出て八ヶ岳への帰路についたのだった。(八ヶ岳事務所 中村 健二)
▲中央西線木曽平沢駅より見た町並。
※この物件(物件№16989H)は本誌『月刊ふるさとネットワーク』1月号に掲載しています。また、放送日は3月最終土曜日となります。