▲東海林太郎音楽館・大鵬ミュージアム
秋田市に「東海林太郎音楽館・大鵬ミュージアム」が大鵬夫人の実家(和菓子店)所有ビルの二階にある。
昨年、縁あって音楽館の管理人ボランティアを少し勤めた。
東海林太郎(秋田市出身)の知識と言えば、燕尾服と直立不動の「赤城の子守唄」程度であったが、資料が豊富で、プロダクションからは今度武田鉄矢の番組で使う歌のレコードの有無の問合わせなどがよくある。
東海林太郎の伝記や遺品を見ているとただ歌がうまいというだけはなく、小学校の成績はオール甲、体操、陸上競技にも秀でていた。
太郎が小学生の時に父親は突然県庁を退職して、満州鉄道に入社。太郎と次男は祖母の手で育てられることになった。
中学の同級生のバイオリンを借りてひき続けているうちに魅せられて満州の父にバイオリンをねだったところ、三越から長い箱の小包が届いた。ワクワクしながら開けると空気銃が一丁。父はこれで体を鍛えろとのことで、後に太郎はあれほどがっかりしたことはないと語っている。
音楽の道に進もうと現東京芸大に合格したので父親に知らせると「音楽などの他人の施しを受けるような職業を目指すなら即刻勘当する」と言われ、やむなく早稲田大学商学部に入学した。同学年には浅沼稲次郎や瀬尾俊三(雪印乳業)、斎藤憲三(TDK)などがいる。
父の勧めもあり満鉃に入社してエリートの課に配属され「満州における産業組合」というテーマの論文を提出したが、富の公平化を図るべき等率直な意見が経営者の反感で辺境の地に左遷された。
今日、彼の論文は日本植民地史の大切な資料とのこと。(つづく) (秋田駐在 片山保)